ググっても分からない事に価値があるという事
教授とのありがたい雑談?
大学の学部時代に,マシンガンのような速さでしゃべる面白い教授の授業があった.
その授業後に,ふとした流れで世間話を始めた事がきっかけでマシンガンを直に受けてしまった事がある.
ものすごい速さで繰り出される話題の展開を理解しようとして,気づけば次の話題,みたいな.
どこの教授とかそういうのは,まぁ,どうでもよくて,そんな話題の中で先生が仰っていた事で印象的だった事がある.
某教授:「いやー,Googleとか図書館とかで検索すれば何でも知ることができる, だから知識を覚えるよりも検索して自分から情報にアクセスしたり 情報を見つける事が大事なんて言われてるけどさー 違うと思うんだよねー.いやー大事なんだけどさー 僕はさーGoogleで検索しても分からない事が知りたいわけ. 僕は,そんな簡単に知る事ができない事が知りたいんだよね. 君たちも情報系の学生なんだしさ, そんな誰でも見れるような情報で満足しちゃだめなんだよね 君たちはもっと誰も知らないような事に興味を持って欲しいし, そういう情報を作って欲しいな〜 」 僕:(体感5秒)
内容自体は,そんな珍しい事でも無くてありきたりな事なんだけどね.
情報系学生で,スマホやパソコンを他の人よりも使いこなして,
GoogleやらSNSやらそういうのに浸ってる自分の心に刺さったんだよな
自分と同じ状況の人が居ると謎の安心感
プログラミングしてる時に躓いた時とかに,ググるとちょうど自分が知りたかった内容が簡単に知る事ができるわけ.(これは僕がググってる内容がかなり簡単って事でもあるのだけど)
でも,自分が探してた情報を見ると,お!ちょうどこの問題に困ってたんだよね解決できてよかった!サンキュ〜
って感じだ.
何かを知りたい時に同じ状況に陥ってる人をネット上から見つけて,
あ,ほかにも自分と同じ問題に困ってる人いるんだな
みたいな安心感.あるあるだよね.
ググられるけど存在しない情報を作る事
でもそんな時に思うのは,
自分が困ってる問題に対して,最初に解決してネットに公開した人ってすげぇな
って事なんだよね.
別に何かの問題解決だけじゃなくて,
どこかの飯の美味い店のレビューとか
めっちゃ面白い体験談とか
そういう情報を最初に作った人の創造性とかセンスに憧れる
なんでこんな記事を書いたのか
なんでこんなどこにでもありそうな記事を書いたのかと言うと,
ごめん
すごい話変わるんだけど
この前,友達の中国人と話してて,
北京飯が中華料理どころか安城市発祥のB級グルメ料理って事を知ったんだよね
嘘でしょ!!!!中華料理じゃないのかよ!!!!それどころか愛知のご当地料理なのかよ!!知らなかった!!!!
みたいなすごい衝撃で,本当に
この僕の衝撃を伝えたいと思って
海外料理だと思ってたら実は日本オリジナルの料理
みたいな記事にしようってググったら案の定世の中にいっぱいあってさ
海外に行ったら食べられない!? 日本オリジナルだった意外な料理|All About(オールアバウト)
海外にはない!? 外国の料理っぽいけど実は日本発祥の料理10選 | グルメ | 大学生活 | マイナビ 学生の窓口
中華丼は中国に存在しない 実は日本が発祥の料理10選 - ライブドアニュース
意外すぎてビックリ!実は日本生まれの食べ物まとめ - NAVER まとめ
【信じてたのに…】実は日本料理だった洋食をご紹介!(第1弾) | ケータリングならフォリクラッセへ
まじかよ...
みんな同じ事書いてるやん
つら...
みたいな感じ
ドヤ顔で二番煎じをする意味あるのか
ぶっちゃけ辛い.
ブログを投稿するときに査読とかなくて本当に良かった.
その記事の新規性は?
その記事の有用性は?
とか言われなくてよかった
でも,綺麗な見た目にした記事の方があとから見てもらえるというのも事実
だから,情報を足したり整理したりしてまた発信する事にはそれなりに意味があると思う
ちなみに僕が頑張ってググった感じだと,
最初に外国料理っぽいけど日本発祥の料理についてネットにまとめた人の記事は
2008年に書かれた記事っぽいね.
みんな,二番煎じ,三番煎じを繰り返しているんだ
まとめ
最初に情報を発信できる人になりたい
どうせやるならオリジナルを超える二番煎じをしてやろうじゃないか
*1:数年前の回想で,ほぼ適当です.大体ニュアンスは同じ